当所は、木下文三家の直系尊属全系統調査を行い、当家先祖を明らかにすることを最終目標としています。
当所の沿革
1971年(昭和46年)8月末、木下智雄ら親戚5人で調査隊を結成し、智雄の祖父・木下房太郎らの出身地・信州時又(長野県飯田市)を探訪する。帰宅後、木下智雄は、『信州時又かけある記』を発刊。以来、木下智雄は、妻方や親戚も含めた家族史を継続的に調査していく。これが当所の淵源である。
1977年(昭和52年) 木下圭子が飯田市を探訪する。
1981年(昭和55年) 木下智雄が西那須野町二区区長として郷土史『二区開拓史』を編纂するに当たり、長野県内各市町村より資料等を取り寄せ、木下圭子が再び飯田市を探訪した。
1988年(昭和63年)3月末 木下智雄が西那須野町史編さん委員会委員に就任。前後して地域史の研究会2団体にも参加し、那須野が原の開拓史、すなわち木下家のみならず母方・妻方等の先祖の歴史を研究する。
2015年1月 一般社団法人木下家財産管理委員会において、木下家に関する直系尊属全系統調査及び家史編纂事業の準備を開始。
2015年3月 史料編纂事業を始動、木下家史料編纂所設置。以降、約1年半で直系尊属4、000人以上を発見する。
2016年9月 受託調査事業の準備・検討を開始。
2017年7月7日 受託調査編纂部署として家族史編纂センターを設置。スタッフは史料編纂所職員が兼務。
基本方針
当所の基本方針は以下の3つです。
家名・先祖平等主義
:先祖というと今の自分の苗字の家系にしか興味がない/苗字が違えば先祖ですらないと思っている人もいるようですが、当所では自然血族平等主義であり、血のつながっている直系尊属は全員平等に扱います。自分が子孫に「苗字が違うからどうでもいい」と言われたら悲しいですからね。逆に、先祖の兄弟姉妹及びその子孫である傍系や、養親等の非自然血族については、家族史編纂の際の参考情報とする以外には特に重視しません。
男女平等主義
:じつは現代だけでなく室町時代以前は男女平等で、分割相続制でした。分割相続制は、資産が増えない限りどんどん細分化されてしまうため、室町後期以降は次第に男女不平等・単独相続制になってしまいましたが。家名・先祖平等主義の一端として、女性先祖も丹念に調べるということです。ただし、本姓は男系血統を表すものですので、これは男女平等主義の適用外です。
個人主義
:「うちの先祖は農家だった」などというおおざっぱな把握はしません。先祖各人それぞれに個性や仕事がありました。実際に、最近の研究では、士農工商の固定身分制は間違いで、転職もよくあることだったことがわかってきたようです。そのため、先祖一人一人のプロフィールを丹念に調べています。
所在地等
那須塩原事務所:〒329-2733 栃木県那須塩原市二区町341-1
電話:050-3572-0165
メール(できるだけメールでお願いします):kakeizu@kinoshita.or.jp